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私が3年前に書いた魂の記事

自分に自信がなく他者の目を気にしながら生きてきた私がnoteを書くに至った経緯

 

 

自己紹介
・30歳
・既婚
・子ども2人
・理学療法士
・酒弱いが、飲み会は好き
・趣味は読書、麻雀、最近は資産運用
・面白い、楽しい空間にいることが好き
・人に憑依できる(人の気持ちがわかる)
・PHIピラティスMatⅠ&Ⅱインストラクター
・ストレングスファインダーでは、「共感性」「収集心」「適応性」「戦略性」「包含」

こんにちは。私は現在、理学療法士6年目で総合病院に勤務しています。初めて、今回noteを執筆しているのですが、何を書こうか悩んだ挙句、なぜnoteを書こうを思ったのかの経緯について書こうと思います。これを読むことで、自分と同じように悩んでいた人の助けになればと思います。それでは、宜しくお願いいたします。

 

まず自分の生い立ちについて、書こうと思います。

何だかんだで生きていけた学生時代

 私が生まれた家庭は、親が共働きで世帯収入としては平均よりも少し上くらいで貧しくもなく、かといってかなりのお金持ちでもない暮らしていくには不自由のない家庭でした。自分で言うのもなんですが、小・中学校の成績は、1位を取ることは無いですが、まあまあ良いくらいの所で、褒められる事も多く、またそれが嬉しくて頑張っている部分もあったと思います。高校進学も、1番ではなく地域で2番目くらいの大学付属の私立高校へ行きました。運動においても、かなり音痴でもなく、かといってアスリートを目指せるレベルでもなく、平均より上くらいな感じでした。自分の感覚では、何かにつけて平均よりは上の位置につけて、周りは褒めてもらえる。そんなポジションでずっと過ごしていたように感じます。ですので、あまり努力したとか、苦労したなどの感覚はなく、「これくらいやればいける」という自分の中でのボーダーラインを引いて過ごしていたように感じます。みんなに自慢出来る輝かしい功績を残した話だとか、逆に苦労した話などはなく、自分の話をするのは苦手だったと記憶しています。

メッキで塗り固めた自己分析(就職活動時期)

 そんな「何だかんだで生きていけた」自分が最初にぶち当たった壁が、就職活動でした。当時は、リーマンショックの翌年で就職氷河期と言われた時期でしたので、就職浪人する人も周りにいたくらいです。そんな厳しい状況の中で、勝ち残っていくために、「自己分析」「自己アピール」は必須でした。大体、企業の面接で聞かれることは大凡決まっていて、「志望動機は?」「自分の強み・弱み」「学生時代に頑張ったこと」などでした。私は、本当に自己紹介や自己アピールなどが苦手でこの時、本当に悩みました。自己を分析すればするほど、自分の軸の無さに気付かされて、ますます就活が嫌になっていったのを覚えています。how to 本などを読みながら、学生時代がんばった事は、「1日売り上げ100万の焼肉屋でアルバイトしてました」って書いた記憶があります。けど、今思うと、それ自分だけの力じゃないし、言われた作業こなしてただけやなーと今思います。笑

 結末としては、結局就活は断念して、身内に理学療法士がいたことから勧めで理学療法士の道に入ることを決め、大学卒業後、専門学校に入学しました。

勉強意欲はあるものの、結果に結びついていない
理学療法士1-5年目時代

 専門学校卒業後、地元の総合病院へ就職が決まり、そちらで働くこととなりました。この病院を選んだ動機としては、勉強熱心な人が多く、院内や院外でも研修会を数多くしており、この場所なら自分もスキルが磨かれるなと思ったからです。私は1年目から整形班に振り分けられ、整形外科の術後患者様を多く経験させてもらいました。その中で、整形分野に興味を持ち、外部の研修会にもかなりいきました。休日は、かなり研修会につぎ込んでいた気がします。周りからも「よく勉強してるね」とか言われることがまた嬉しくて研修会マスターみたいになってました。笑

画像1

*当時の、研修会資料をまとめたものです。(ほとんど読み返していない笑)

自分の軸の無さに気づいた5年目

 5年目のある日、お世話になっていた先輩と飲みに行った時に芯をつかれるような事を言われました。

「めっちゃがんばっているの分かるけど、武器ないの?」

「武器ですか?」

「うん、俺はこの武器でこれから戦っていくぞみたいな」

大学での就活時代を思い出しました。自分は何も持っていないなと。すごい研修会に行っていたので、それで満足していて気付いてなかったんだと思います。結局学んだ事を自分の武器に出来ておらず、段ボールみたいなペラペラの鎧しかつけてなかったんですね。ここから、自分の中で何か変わり、自分探しみたいなのが始まりました。色々、本を買って読みました。自己啓発本、ビジネス本、資産運用に関する本など、、、

新型コロナウイルスによって変わった時間の使い方

 自分探しの時期と重なって新型コロナウイルスが日本にやってきました。これにより、今まで休日返上で行ってきた研修会や訪問リハビリのアルバイトが全て中止となり、何も予定がない休日が圧倒的に増えました。これまで休みなく忙しくしている事が「頑張っている」と錯覚していた自分にとって、予定のない休日は不安で仕方ありませんでした。しかし、逆にそれは自分を見つめ直す時間を与えてくれたんだと今は思います。私はそれからもずっと本を読んでました。当時読んでいた本の中で、一番自分に当てはまるなと思った本が「嫌われる勇気」です。今までの自分の人生そのもの書かれているような感じがしました。そこで書かれていた内容は、

「承認欲求を求めすぎて、他者評価で物事を捉えてしまっていると、本当の幸せがわからない」

というものでした。そしてもう一つ、

「自分はどう見られているか?ばかり気にしている人間は、意外と自分の事しか考えておらず、自己中心的」

みたいです。その内容をみてかなりショックでしたが、確かに的を得ていました。承認欲求の人生であり、確かに自分の事ばかりで相手の事までしっかり考えてれていなかったと自覚しました。でもこの本のおかげで、「結局、人の目を気にしていたら何も出来ない!何も始まらない!」と開き直るきっかけとなりました。

 そんな中ある日、ふと理学療法士向けのサイトをみている時に私の目に入り込んできたのが、”ピラティス”でした。なぜそこに目が止まって、クリックを押したかも覚えていません。何か自分を変えなきゃ。行動しなきゃ。そう自分の中で勝手に思い込んでいたのかもしれません。名前は聞いたことあったけど、ヨガに似ているものという認識くらいしかありませんでした。それは“CLINICIANS”というサイトで管理者のTakeさんは理学療法士兼ピラティスインストラクターで、理学療法にピラティスを取り入れているのを見て何か惹かれるものがありました。私自身、当時、入院患者様のリハビリをしていて、セラピスト中心で徒手療法やったり、物理療法やったりしていたけど、退院後は患者様自身で動いていかないといかず、セラピスト中心ではなく患者様中心で動いていく事にフォーカスしないとな、と心の中で思っていた部分がありました。また、慢性腰痛のエビデンスでも徒手療法より運動療法が高く、そちらの需要が今後高まると感じていた部分もありました。時間は思う存分あったので、まずは行動!という事で、とりあえずその運営者が所属されている団体で”PHIピラティス”の体験レッスンに行くことにしました。40分の体験レッスンだったんですが、

「姿勢めっちゃ変わってる!てゆうか、足軽っ!」

 そこでハマりました。今まで、冬眠していた筋肉(腸腰筋)が起こされたような感覚で、帰り道スキップしていたように思います。(嘘です、でもそんな感覚笑)
そこから、ピラティスに興味を持ち、色んな団体の体験レッスンをとりあえず受けてみようといくつか行きました。行った結果、一番”PHIピラティス ”が解剖学、運動学的に説明されていて、リハビリに近いものを感じたので、こちらの”MatⅠ&Ⅱ養成コース”を受講することにしました。養成コースを受講していると新しい出会いがありました。同じ受講生に、「インストラクターを取って、田舎で高齢者向けにスタジオを作りたい」とか、講師の先生も「自分でスタジオを作る」など結構独立を目指されている方も多く、病院でしか働いてこなかった自分にとって、働き方の選択肢が広まりました。おそらく自分の中で「独立」という文字が浮かんだのはその頃からだと思います。そうすると、自然に脳はそっちの方向に動いていきます。「独立」するためには?という事で、まず同じ職場に独立を目指している先輩がいたので、話を聞くと、「マーケティングの為に、TwitterやYoutubeをやった方がいい」と言われました。すぐに、Twitterアカウントを作り、同じように理学療法士でチャレンジしている人をフォローすると、皆さんすごい努力されているんですね。で、noteやYoutube、ブログをされていて、しっかりアウトプットされているんですね。まずは、成功している人のマネを始まらないし、アウトプットをして行かないと自分の頭に入らない、また影響力を与えられる人にならないと感じたので、今noteを書いている次第です。「こんな自分が何を書いていいのだろうか」「自分みたいなもんが」「恥ずかしい」「自分にできるはずがない」こう言った気持ちは、私もそういう人間だったので、すごく分かります。でも、書かないと一生始まらない、スタート地点に立っていない、厳しいことをゆうと、「自分なんか〜」「こんな自分には〜」みたいに考えている人は、自分の事しか考えていなくて自己中心的です。「誰かのために」と常に相手目線に立って物事を考えると、自分が提供できる価値に少なからず、気づいてくると思います。すべての人間絶対、誰かの役に立つのです。自分がもし死んで、悲しむ人がいてくれるという人がいたら、それだけで存在する価値がありますから。私も、このnoteを書く事で少しでも同じように悩んでいる人の助けになればと思って、今日もパソコンを打っています。

誰かの役に立つように・・・